2008年12月11日木曜日

「クリスマスナイト/歌う宣教師たち」


 私の通う教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)で、昨夜、宣教師たちのクリスマス・コンサートが行われました。
 日本には、アメリカをはじめ世界中から若い宣教師たちが伝道にやってきています。彼らの中には音楽の才能や特技を身につけた人も多く、毎年有志がクリスマスコンサートを行っています。

 彼らはプロではありませんが、素晴らしい才能を備えていて、心が震えるほどの感動を与えてくれます。

 今年はバイオリンの特技を持った若い姉妹宣教師が、美しい「オー・ホーリー・ナイト」や、凝ったアレンジの「聖しこの夜」を聞かせてくれました。

 また、男性の宣教師(長老)は「赤鼻のトナカイ」や「サンタが街にやってくる」などのおなじみの曲を、巧みにメロディをくずして歌ってくれました。
 フランク・シナトラやトニー・ベネットなどのジャズシンガーさながらに、フェイクとアドリブで我々観客をスイングさせてくれました。

 楽しくて、霊性の高いコンサートでした。

2008年11月3日月曜日

「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ/コミュニケーション」


 アメリカでフリージャズが台頭した1964年。その年と翌1965年にかけて録音されたのがこのアルバム。アナーキーなコレクティブ・インプロビゼーションが全編を通して聞かれます。こうしたサウンドを心地いいと感じるか、雑音と感じるかが、好き嫌いの分かれ道。
 ポール・ブレイ、マイク・マントラー、アーチー・シェップ、スティーヴ・スワローなど、今から見れば珠玉のようなミュージシャンが加わっていました。

 ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラはこの後、さまざまな音楽的実験を行いながら個性的な作品を生み出していきます。
 その最高傑作が、前回紹介した「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ」という2枚組のアルバムです。

 本作品はいまだLPでしか聞けず、ぜひCD化してほしいものです。

 

2008年10月17日金曜日

「幻想交響曲ほか」


 昨夜、地元の芸術大学音楽部のコンサートがあり、招待状をもらったので聞きに行きました。
 第一部が「ドボルザーク:チェロ協奏曲」、第二部が「ベルリオーズ:幻想交響曲」で、いずれもよく知られた名曲です。

 とりわけ、幻想交響曲はベルリオーズが失恋の痛手の中で、失恋をテーマに作曲した曲です。特に4楽章、5楽章の旋律には狂気がみなぎっており、オーケストラのメンバーがどんな表情で演奏するかがいつも楽しみです。(指揮者の表情も見たいけど見えないですからね)

 ベルリオーズは梅毒におかされ、脳がその影響を受けていたとも聞いています。彼はどんな世界を見ていたのでしょうか。こうした楽曲を通じて垣間見る思いです。

2008年10月9日木曜日

「フォルクローレ・メドレー」


 父が入居している養護老人ホームで、老夫婦の演奏するフォルクローレを聞きました。
 その施設で秋の催し物があって、その余興にアマチュアの老夫婦が来てくれたようです。
 「コンドルは飛んでいく」「花祭り」などよく知られている曲が演奏されました。特に、奥さんのアルパの演奏が心を癒してくれました。
 アルパは小型のハープで、ペダルもない簡素な楽器です。しかし、ハープをスペイン語で発音するとアルパになるそうで、同じ楽器と考えてもいいのでしょう。
 短い時間でしたが楽しいひと時でした。

「スペイン奇想曲/リムスキー・コルサコフ」


 ご無沙汰しておりました。
 ザイラスです。

 また、書き始めます。

 先週の火曜日(9/30)、愛知県芸術文化センターで名古屋音楽大学のウィンド・オーケストラ(管楽器楽団)のコンサートがありました。
 このコンサートは毎年9月に愛知芸文センターで行われており、大学から招待券をいただいて毎年出かけています。
 今年は、リムスキー・コルサコフ「スペイン奇想曲」が演奏されました。

 リムスキー・コルサコフは、当初はバイオリン幻想曲として作曲をはじめましたが、創作が進むにつれてイメージが膨らみ、管弦楽曲になったといわれています。5つの楽章から構成されていますが、全部続けて演奏されるため、1つの曲のように思われている方も多いようです。

 この日は、ブラス・オーケストラ向けにアレンジされたスコアで、オーボエをはじめとする各楽器がカデンツァ的なソロを随所で奏でられ、カラフルでダイナミックな演奏でした。
 そのほかにも、スペインをイメージした小曲がいくつか演奏され、楽しいコンサートでした。
 良かったですよ、ホントに。

2008年7月29日火曜日

「Ol’ Blue Eyes Is Back/Frank Sinatra」


 フランク・シナトラは生まれながらのスーパー・スターでありながら、何度も挫折を繰り返しました。スランプ、喉の疾患、気力の減少…。しかし、そのたびに新しい表現力を備えてよみがえり、アメリカのジャズ、ポップス界の歴史的存在であり続けました。
 1971年、彼は55歳で突然リタイアします。しかし、その2年後にこのアルバムを録音して復帰を果たしました。

 中でもよく知られている曲が「愛をもう一度」(Let Me Try Again)です。

  かつて、僕は去っていくといったね。
  でも、さようならは言わなかった。…
  君との生活から抜け出すなんて、大変な
  思い違いをしていたんだ。…
  僕は学んだよ、そして戻ってきたよ。
  もう一度、僕にやり直させてほしいんだ。…

 自分の復帰を、恋人との関係の修復にたとえて力強く歌い上げるさまは、さすがシナトラと感動せずにいられません。

 結局、シナトラは1998年に亡くなるまで、生涯現役を貫きとおしました。その背景には4人目の妻であったバーバラ・マルクスの献身的な支えがあったのかもしれません。

 フランク・シナトラの傑作アルバムは、ジャズ歌手だった40~50年代のものに多いのですが、このアルバムにもシナトラ節といわれる彼独特の節回しも生きていて、マイ・フェイバリットの一枚です。

2008年7月24日木曜日

「The in Crowd/The Ramsey Lewis Trio」


 かつて「ジャズ入門ははラムゼイ・ルイスから」と言われていたことがありました。私も学生時代、ある雑誌でこのアルバムが紹介されていて、そこからジャズを聴き始めました。

 ちなみに、その雑誌に紹介されていた初心者向けアルバムには、ほかに「ポピュラー・エリントン/デューク・エリントン」「ザ・キャット/ジミー・スミス」「オム/ジョン・コルトレーン」などがありました。

 ラムゼイ・ルイスからジャズ・ライフが始まりましたが、数十年たった今振り返れば、ラムゼイ・ルイスは、このアルバムとベストアルバムの2枚しか聴いていません。残念。

 でも、今でも時々聴き返しています。自己主張を表面に出さず、ポップスに近い演奏スタイルが聴きやすいのでしょう。お勧めします。

2008年7月23日水曜日

「ハロー・ハービー/オスカー・ピーターソン・トリオ」


 オスカー・ピーターソンの演奏を聞いていると、きらびやかで華麗で、空間を音で埋めつくすように聞こえてくる。寡黙で、ダークな世界観を持ったセロニアス・モンクとは対極的な位置にいるピアニストです。ピーターソンのテイストが他のジャズピアニストと少し違って聞こえるのは、彼がカナダ人だからかもしれません。

 このアルバムは、ジャズ・ギタリストのハーブ・エリスと共演したもので、ドイツで1969年に録音されました。

 どの曲も大変スウィング感に富んでいて、明るく、楽しい作品になっています。ハーブ・エリスのキターも押しつけがましくないところがいい。何度聞いても飽きず、いつもそばに置いておきたいアルバムの1枚です。

2008年7月14日月曜日

「セロニアス・モンク/アローン・イン・サンフランシスコ」


 ジャズ・ピアノの巨人セロニアス・モンク(Thelonious Monk/1917-1982)は生前に4枚のソロ・アルバムを残しました。このアルバムはそのうちの3枚目のピアノ・ソロアルバム。1959年にサンフランシスコで録音されました。

 実はその2年半前に「セロニアス・ヒムセルフ」という彼のソロ・ピアノの至高のアルバムが録音されていることから、このアルバムはその陰に隠れてしまうことが多いのです。しかしモンクの作品に愚作はありません。4枚のソロ・アルバムはいずれも個性的で素晴らしい作品だと思っています。

 モンクの特色は、その独自のコード(不協和音)と奏法にあります。コードを弾いた後、一本の指だけを残して他の指を持ち上げると独特の残響音が残ります。その響きが計算されていて、ソロで聞いても、コンボ演奏を聞いても、彼独自のサウンドが展開されます。

ちなみに、彼のソロアルバムは次の4枚。
「Solo on Vogue」(Vogue)
「Thelonious Himself」(Reverside)
「Alone in San Francisco」(Reverside)
「Solo Monk」(CBS)

 コンボやオーケストラと共演したアルバムは数知れず。

 モンク文句はいけません。
 彼の残した遺産をこれからも存分に味わいたいものです。

2008年6月18日水曜日

「ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴ 第1集/第2集」


 ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴNYC5)は、1960年代のフリー・ジャズ のリーダーだったビル・ディクソン(tp)が1960年代前半に結成したクインテット。テナーサックスに、当時頭角を現し始めていたアーチー・シェップが主要メンバーとして参加しています。
 
 このアルバムは1963年にコペンハーゲンのカフェ・モンマルトルでライブ・レコーディングされたもの。しかし、この頃にはビル・ディクソン(tp)は抜け、トランペッターにはドン・チェリーが加わっています。

 NYC5の活動期間が短かったこともあって、レコーディングも少なく、数枚しか残っていません。
 フォンタナレーベルに録音されたものが最初で、このソネット版に録音されたものがその次になります。

 フリージャズ といっても、現在聴けばそれほど前衛的な演奏ではありません。しかし、絵の具の原色のような透明感があり、これから色がどのように混ざり合い、どんな色彩を出していくかという期待感は、このアルバムからも十分感じることができます。

 カフェ・モンマルトルでの演奏は2枚のアルバムに分けて収録され、第1集、第2集として2枚別々に発売されました。

 新しい時代のジャズを生み出そうとするパワーと純粋性が伝わってくる鬼気迫る演奏が収められています。


 

2008年5月28日水曜日

「Miles Davis/Get Up With It」


 1974年.マイルスがエレクトリックサウンドで絶好調の時期に録音された2枚組のアルバム。全曲が、同年5月に亡くなったジャズの巨人=デューク・エリントンに捧げられました。
2枚組を通して聴くと2時間以上を要します。当初LPで発売された時は、1面に30分以上の演奏が収められていたことになります。

 スタジオ録音された演奏が巧みに編集されているようです。最初から最後まで緊迫感に包まれ、最後までまったく飽きることなく楽しませてくれる秀作です。

 参加メンバーは1971年に来日した時のミュージシャンが中心。キース・ジャレットがキーボードで参加している曲もあります。

 マイルスが亡くなってからジャズは多様化しましたが、この当時のマイルスのサウンドはもう録音でしか聴くことができなくなってしまいました。結局、継承されなかったんですね。

 私は「ビッチェズ・ブリュー」からこのアルバムに至るまでのマイルスが、特に好きで、今も聴き続けています。

2008年5月17日土曜日

「The German All Stars/Live at the DOMICILE」



 ジャーマン・オールスターズは、1971年に文化使節としてドイツ(西独)がら日本に派遣されたジャズ・オーケストラです。リーダーは(tb)のアルバート・マンゲルスドルフでした。マンフレット・ショーフ(tp)やウォルフガング・ダウナー(p)など世界的に知られるミュージシャンが集っていました。

 このアルバムは日本からの帰国後、1971年7月、ミュンヘンのジャズクラブ「ドミシル」でライブレコーディングされたものです。LP2枚組で約70分ほどの演奏が収録されています。CD化されているのかは不明です。

 メンバーの多くは、ヨーロッパのフリージャズ・オーケストラ GLOBE UNITY にも参加していますが、ジャーマン・オールスターズの演奏は決して難解なものではありません。
とはいうものの、サウンドは明らかにアメリカのジャズとは違い、大変ロジカルでスウィング感が希薄なものとなっています。

 当時のヨーロッパのジャズは、まだクラシック音楽の呪縛から抜け切れず、ある意味で台頭期だったのかもしれません。

2008年5月15日木曜日

「ブリリアント・コーナーズ/セロニアス・モンク」


 セロニアス・モンクは、演奏スタイルやリズム感が大変個性的なピアニスト。それは、彼のどのアルバムを聞いてもわかります。
かつてマイルス・デイビスは共演したときに、「俺のソロのバックで伴奏するな」といったために、つかみ合いの喧嘩になったことがあるというエピソードが残っています。

 彼の特異性が最もわかりやすいのは、ソロ・アルバムでしょうか。いずれ紹介したいと思います。

 このアルバムは、セロニアス・モンクの代表作の一枚で、現在のテナー・サックスの大御所であるソニー・ロリンズと共演しています。モンクの世界観のなかで、若き日のロリンズが自らを見失うことなく堂々と自己主張しているところが素晴らしい。
セロニアス・モンクは、その後、ジョン・コルトレーンセシル・テイラーなど、ジャズ主流派やフリージャズのミュージシャンに多大な影響を及ぼしていきました。

 モンクはすでに亡くなっていますが、彼の音楽は今も多くのジャズ・ミュージシャンに受け継がれています。
 何はともあれ、このアルバムは彼の最高傑作の一枚です。

2008年5月9日金曜日

「Alex North's 2001」


 20世紀を代表するSF映画「2001年 宇宙の旅」のサウンドトラックと言えば、“ツァラツストラはかく語りき”や“美しく青きドナウ”を思い浮かべますが、監督のスタンリー・キューブリックはオリジナルスコアをアレックス・ノースという作曲家に依頼していました。

 このアルバムは、その没になったスコアを、作曲したA・ノースが亡くなった後、友人の作曲家ジェリー・ゴールドスミスによって録音されたものです。
通常「2001年 デストロイバージョン」と呼ばれています。

 冒頭のメインタイトルのバックに流れる曲は、“ツァラツストラはかく語りき”と似ていて、A・ノースは“ツァラツストラ…”を超える曲が書けなかったことに意気消沈していたと聞いています。
また、映画では音楽が入っていない場面、例えば“人類の夜明け”のシーンにもいくつかの曲が作られていて、それが使われたらどのような映像になっていたでしょうか。

 この曲を使ったら「2001年 宇宙の旅」はまったく違った映画になった板かもしれません。
キューブリック監督は、採用するか没にするかでかなり悩んだのか、あっさり没にしてしまったのか、また何故だったのか…!? その真相を知りたいものです。

2008年5月6日火曜日

「ラウンド・トリップ/渡辺貞夫」


 渡辺貞夫が、当時成長株だったチック・コリア(p)、ミロスラフ・ビトウス(b)、ジャック・ディジョネット(ds)と共演したアルバム。録音は1970年7月。
チック・コリア“リターン・トゥ・フォーエバー”を結成する前のことで、その前の“サークル”というアバンギャルドなグループを率いていた時代のサウンドが色濃く残っています。

 ナベサダ(渡辺貞夫)はここではソプラニーノフルートだけを吹いていて、かなり先鋭的なアドリブを聞かせてくれています。

 マイルス・デイビス から始まった複合リズムとエレクトリックサウンド、そして60年代に躍進したフリージャズ。それらの影響を受け、ナベサダは新しい時代への挑戦を試みたように思います。
ナベサダのこのようなエキセントリックな演奏は、おそらくこのアルバムでしか聞くことができないでしょう。

 彼のたくさんのアルバムの中でもとりわけ異色の一枚で、時代を語る作品です。
 CD化されましたが、今は廃盤ではないかと思います。


 

2008年5月3日土曜日

「Tommorow Never Knows/Steve Marcus」


 まだフュージョンなんて言葉が生まれる前の1960年代後半のLP。
 スティーヴ・マーカスというsaxプレーヤーのリーダーアルバムで、CDでも発売されているようです。ジャズ・ロックなんて言葉が使われていた時代。ここに参加しているギタリストのラリー・コリエルは、いつもサイケデリックな演奏を聞かせてくれました。

 スティーヴ・マーカスは、テナーとソプラノsaxを吹いています。彼はその後も地道な活動を続けていたようですが、ジャズ・シーンの表舞台で華々しい活躍をすることはなく、知る人ぞ知る存在でした。
 ビートルズナンバーや、ポップスナンバーを取り上げてくれたので、私にとってはお気に入りの一枚。今回レコードケースの奥から取り出し、数十年ぶりに針を下しました。

 彼は2005年に66歳で亡くなったようです。
 

2008年4月23日水曜日

「ミステリアス・トラベラー/ウェザー・リポート」



 ウェザー・リポートの通算5枚目のアルバム。といっても、今から30年以上も前の1974年の作品。

 ウェザー・リポートは1971年にジョー・ザヴィヌルウェイン・ショーターミロスラフ・ヴィトウスを核としてスタートしたグループですが、この頃からJ・ザヴィヌルとW・ショーターのカラーが強くなり、M・ヴィトウスはこのアルバムでは1曲しか参加していません。
この後、ベーシストに新たにジャコ・パストリアスが加わってサウンドが変わっていきます。

 このアルバムはその過渡期にあたる作品。

 ウェザー・リポートといえば、「ヘビー・ウェザー」や「ブラック・マーケット」などのアルバムが有名ですが、私はこのアルバムが一番好きです。

 今日聞いたのはCDですが、LPでは何十回も聞きました。

2008年4月7日月曜日

「Return to Nauvoo/Fiddlesticks」



 「フィドルスティックス」は、家族で結成されているアメリカの民俗音楽グループ。メンバーは、父親のアンディ・デイビスと彼の息子・娘たち。
楽器編成は、フィドル(バイオリン)、ギター、フルート、チェロ、民族楽器など。

 アメリカではCDがたくさん発売されていますが、日本では「知る人ぞ知る」といった程度でしかありません。
 ケルティック・ウーマンやエンヤなどで知られるようになったケルト音楽をベースに、ヨーロッパで伝承されてきたトラディショナルな音楽の再現を中心としています。

 このアルバムでは讃美歌、バグパイプの演奏で有名な“スコットランド・ザ・ブレイブ ”、“アメイジング・グレイス ”なども収録され、フィドルを中心とした演奏と歌を聴くことができます。

 この家族はモルモン教徒(末日聖徒イエス・キリスト教会)であることでも知られ、神やイエス・キリストをたたえる歌が多く含まれています。
長女の透きとおった歌声に心が洗われるようです。

2008年4月5日土曜日

「アセンション/ジョン・コルトレーン」



 ジョン・コルトレーンが、自分のバンドを離れて、レコーディングのために集めたメンバー(合計11人)で録音した数少ないアルバムの1枚。録音は1965年、死の2年前です。
ビートの細分化を追求してきたコルトレーンが、オーネット・コールマン「フリー・ジャズ」を聞いて、自分も複数の管楽器によるコレクティブ・インプロビゼーションをやってみたくなって生まれた作品だといわれています。

 当時はフリージャズ全盛の時代で、コルトレーンがフリージャズに足を踏み入れるのは時間の問題でした。
 しかし、このアルバムについて、彼の精神的な師匠であったラビ・シャンカールからは厳しい評価と叱責を受けたといわれています。

 多くの評論家からも、オーネット・コールマンの二番煎じだとか、ダーティな作品だと酷評を受けました。日本では賛否両論に分かれました。
 私は好きですけどね。コルトレーンが音楽の方向性について悩んでいたことも伝わってくるようです。
このアルバムは、後のヨーロッパの前衛ジャズに大きな影響を与えています。

 演奏は2つのテイクがあり、かつてはコルトレーンの指示でテイク2のみがレコードになっていましたが、日本でCD化されたときに、両テイクが入れられました。
両方とも30分を超える演奏ですが、参加メンバーのパワーを感じます。
ただ、フレディー・ハバード(tp)は少し浮いているように感じます。

2008年4月3日木曜日

“ツィゴイネルワイゼン/高島ちさ子”











 “ツィゴイネルワイゼン”は、スペイン生まれのヴァイオリニスト・サラサーテが1878年に作ったバイオリン曲。高島ちさ子の「クラシカル・セレクション」というアルバムでは、ピアノ伴奏のみで弾いています。

 サラサーテは、ハンガリー民謡ジプシー音楽の旋律・手法を取り入れて作曲しており、たいへん劇的な曲風で、多くのバイオリニストが必ずと言っていいほどレパートリーにしています。

 高度な技巧を要する曲のため、発表された当初は作曲したサラサーテしか弾けなかったとか。

 バイオリニストで作曲家だったパガニーニも技巧をこらす曲を数多く作曲し、他人に奏法を教えなかったというエピソードがあります。かつての音楽家はオリジナリティを競っていたのだなと思います。

 高島ちさ子さんは素晴らしい演奏を聞かせてくれています。

2008年3月31日月曜日

「LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA/ラブ・サイケデリコ」



 ラブ・サイケデリコの2ndアルバム。彼らが登場したのは2000年。初めて彼らの曲を聞いた時には、アメリカのグループが日本語を交えて歌っていると思いました。

 リードボーカルのKUMIが帰国子女であると知ってなるほどとは思いましたが、にわかには信じられなかった。サウンドもかなりバタ臭く、ブルースC&Wのニオイもある。
でもね、かつて「オルケスタ・デ・ラ・ルス」なんてインターナショナルな活躍をした日本のサルサ・グループもあったし。驚くことはないと、後で思いましたけどね。

 Jポップでは私の数少ないお気に入りのグループですが、CDはこれ1枚しか持っておりません。

2008年3月27日木曜日

「スイング・ギター/ウエス・モンゴメリー」


 ウエス・モンゴメリーは1950~60年代に活躍したジャズ・ギタリストで、天才的なスイング感とアドリブセンスを備えたスーパースターでした。リバーサイド、ヴァーヴ、CTIなどにたくさんのレコーディングを残しました。

 彼の特色はギターを歌わせるリズム感と、独自のオクターブ奏法
アドリブは通常単音で奏でていきますが、ウエスはオクターブ離れた2音を同時に鳴らして柔らかな響きを奏でました。
オクターブ奏法はアクセントで用いることならスイングジャズの時代から行われてきましたが、ウエスは16分音符が並ぶような早いフレーズをオクターブ奏法で弾き続けたのです。

 彼はオーケストラとも数多く共演してきましたが、譜面は読めなかったとか。そのためスタジオ・ミュージシャンの経験はないようです。

 このアルバムは日本で編集されたベスト盤ですが、そうだからこそ彼のセンスが生かされた曲をたくさん聞くことができます。中でも1曲目の“エアジン” が最高。廉価版だからもう廃盤になっているかもしれません。

2008年3月22日土曜日

「ミュージック・フォア・サイレント・ムーヴィーズ/上野耕路」


 ゲルニカつながりで、ゲルニカのリーダーである上野耕路のアルバムを紹介します。
タイトルの通り6本のショートフィルムに上野耕路が曲をつけ、その曲だけをCDで発表したものです。
ショートフィルムは、画家のマルセル・デュシャン、シュルレアリストのマン・レイなどが監督した作品で、これはぜひ見てみたい。
このCDを聞きながらイメージするしかありませんが、かなり先鋭的な作品であることは想像できます。

 音楽は弦楽を交えたピアノサックスシンセなどで構成されたコンボで、現代音楽風でありながらも、きちんと譜面に書かれた曲であると思います。
聞いていて癒されるようなものではなく、何かを必死に訴えようとするエキセントリックなものが多いようです。

 たぶん、このアルバムはすでに廃盤になっている可能性が高い。中古ショップを回ってもなかなか見つからないかもしれません。

2008年3月18日火曜日

「ゲルニカ:リライティング・ヒストリー 1982-1989」(DVD)




 ゲルニカは1982年にアルバム「改造への躍動」をリリースして登場。リーダーの上野耕路(作曲・ピアノ)、太田蛍一(美術・作詞)、戸川純(ボーカル)を中心にした日本の音楽史上まれに見る特異な作品を発表したグループです。ダダ、シュールレアリスム、戦前アバンギャルドをミックスしたようなサウンドと歌は、熱狂的なファンに支えられました。

 アルバムはその後「新世紀への運河」「電離層からの眼差し」の2枚が発表され、さらに3枚組のライブ盤も出ましたが、それらはいずれも廃盤となってしまいました。(ただし、今年(2008)3月に1stアルバム「改造への躍動」が再リリースされました)

 このDVDにはゲルニカのコンサートと、上野耕路の作品とパフォーマンスなどの貴重な映像が収められ、時代を超えて鑑賞に値する優れた記録となっています。
ぜひ、このプロジェクトを復活させてほしいものです。

 それにしても、上野耕路の才能とセンスには脱帽です。こんなスゴイ音楽を日本で聴ける幸せを喜びたいと思います。

2008年3月15日土曜日

「Globe Unity Special '75/Rumbling」





 グローブ・ユニティ・オーケストラは、1970年代初頭に結成されたヨーロッパのフリージャズ・オーケストラです。
当時頭角を現し始めていたアルバート・マンゲルスドルフ(tb)、ケニー・ホウィーラー(tp)、スティーヴ・レイシー(ss)、アレックス・シュリッペンバッハ(p)をはじめとする8~10人編成の小オーケストラです。出身国はドイツ、イタリア、フランスなどさまざま。

 このアルバムは1975年にベルリンで録音されました。実は、1970年の大阪万国博にベルリン・ジャズ・オールスターズというフリージャズ系の楽団が来日しましたが、そのメンバーともダブっています。

 ここには5曲収録され、22分にも及ぶ大曲もありますが、実はそのほとんどが全員によるコレクティブ・インプロビゼーション(集団即興演奏) で、無秩序と秩序が入り混じった混沌とした音楽です。

 聞きごたえは充分。音とリズムの異次元空間が広がります。

2008年3月8日土曜日

「the best of DON PULLEN」


 1970年代に登場したフリージャズ系のピアニスト:ドン・ピューレン。彼がブルーノートに残した1986~1995の録音から9曲をピックアップしたベストアルバムです。

 登場時のようなパーカッシブな奏法を残しつつも、オーソドックスな4ビートジャズスタイルを表に打ち出した演奏に変化した後の作品が中心。お得意のピアノソロ、ピアノトリオ、サックスを交えたコンボ演奏などさまざまなスタイルを堪能できます。
ピアノソロになると、ところどころに無調のアドリブが入り、聞いているものをニヤリとさせてくれます。

 円熟の境地に至った、安心して聞いていられる演奏ではありますが、登場時のようなエネルギッシュで挑戦的な演奏をもう一度聞きたいものだと思います。

2008年2月28日木曜日

「2001年 宇宙の旅/サントラ」


 1968年にMGMで製作された世紀のSF傑作映画「2001年 宇宙の旅」のオリジナル・サウンドトラック盤です。この映画はリバイバル公開されるたびに見に行き、劇場で5回以上見ています。

 映画については述べたいことが山ほどあるのですが、それは映画のブログで紹介しましたので、そちらをご覧ください。
http://cinema-spase.seesaa.net/

 ここでは音楽について少々書きます。

 この映画は、SF映画という最先端科学を素材とした作品にも関わらず、映画音楽にはすべてクラシック またはクラシック系の現代音楽 が使われました。
実は作曲家へオリジナル曲の依頼が出され、作曲されていたのですが、スタンリー・キューブリック監督は結局それをボツにして、クラシック曲だけを採用したということです。

 カール・ベーム指揮の“ツァラツストラはかく語りき ”で始まり、宇宙船オリオン号、エアリーズ号の航行シーンにはカラヤン指揮の“美しく青きドナウ ”が使われました。宇宙空間をゆったりと航行するバックに、“美しき青きドナウ ”がなんと見事にマッチすることか。このシーンは何度見ても美しく、どこかでこの曲を耳にすると、反射的に宇宙船の航行シーンを思い出してしまいます。

 モノリスという謎の石板の背景に流れるリゲティの不気味な声楽曲“レクイエム ”、木星探査宇宙船ディスカバリー号の背景に流れるハチャトリアンの“ガイーヌ ”…。どれをとっても印象的でアーティスティックです。

 この映画、私はビデオでもDVDでも何度も繰り返し見ていますが、また劇場の大スクリーンで見たいものです。

2008年2月22日金曜日

「原田知世/Best Harvest」


 原田知世が女優であることは知っていても、CDを出していることを知らない人って結構いるようですね。80年代から何枚も出しているんですよ。
このアルバムには18曲も収められていますが、とりわけお勧めはフランス語で歌われているT'EN VA PAS。彼女の声やイメージにフランス語はぴったりなんです。

 T'EN VA PASは、囁くように歌われる癒し系の曲で、これまでアレンジを変えて何度もレコーディングされてきました。彼女のお気に入りのレパートリーなのだと思います。この曲のファンはたくさんいるようです。

 かつて90年代の深夜に、「文學と云ふ事」という30分のテレビ番組がありました。日本の現代文学の名作を映画の予告編に見立ててドラマ化し、森本レオの解説で紹介していくものでした。

 実はT'EN VA PASは、その番組のエンディングに流されていたのです。
この番組、覚えている人いるかなあ。
とっても新鮮で、彼女のフランス語がキュートだと思いました。

 

2008年2月19日火曜日

「ハービー・マン/メンフィス・アンダーグラウンド」



  ハービー・マンはもともとサックスを吹いていましたが、フルートに持ち替えてブレイク。このアルバムは彼の名を一躍有名にしました。
ジャズ奏者でありながら、ロック、サンバ、レゲエ、ポップスほかさまざまなワールド・ミュージックとも共演して活躍の幅を広げ、世界中に音楽のジャンルを超えたファンを生みました。

 フルートはスウィング感を出すことが難しい楽器なのでジャズではあまり使われません。ハービー・マンこそがフルートに脚光を浴びさせた人といってもいいでしょう。

 このアルバムは1969年の録音で、ラリー・コーイエル(g)、ソニー・シャーロック(g)、ロイ・エアーズ(vib)、ミロスラフ・ヴィトウス(b)などが共演し、エキサイティングな演奏を聞かせてくれます。

 ハービー・マンは2003年に亡くなっています。

2008年2月14日木曜日

「エニグマ/サッドネス(永遠の謎)」


 エニグマ。最近このグループの様子を聞きませんが、解散したのでしょうか。
90年、エニグマはこのアルバムでデビュー。グレゴリオ聖歌 をロックのリズムに乗せて聞かせる異色のサウンドで、最初はどこの国のグループかもわからなかった。
やがて、ドイツのグループで、元アラベスクのリードボーカルだったサンドラと、彼女の夫が仕掛けたプロジェクトだということがわかってきました。

 このアルバムから3rdアルバムまでは買いましたが、その後の3作品はレンタルショップで借りて聞きました。

 基本的には、キリスト教、あるいはイスラム教などの宗教音楽に触発されているようには見えますが、本質的にはその奥にある神秘性にフォーカスしているように思います。

 わが国の作曲家の黛敏郎が、仏教の読経をオーケストラと共演させた「涅槃交響曲」という現代音楽曲を作りましたが、エニグマにも仏教の僧侶の読経を扱ってほしいものです。

 このグループの作品は、今でもときどき聞いています。

2008年2月8日金曜日

「ジョン・コルトレーン/ジャイアント・ステップ」


 ジョン・コルトレーンがアトランティック・レーベルに残した傑作のひとつ。同時期に「マイ・フェイバリット・シングス」 という作品もリリースし、ともに高い評価を得ています。

 コルトレーンは、これに先立つブルーノート時代、ビートの細分化に自ら挑み、アドリブの中でコードの構成音を横に並べて、16分音符か32分音符で一気に吹きまくる演奏を続けました。それが音のシーツのようなので、シーツ・オブ・サウンドと呼ばれました。
しかし、ジャズは歌うものと考える人たちからは、まるでスケールの練習を聞かされているようだと言って受け入れられませんでした。

 このアルバムでも、表題の「ジャイアント・ステップ」をはじめ、何曲かでシーツ・オブ・サウンドを聞くことができます。

 「ジャズはうるさい」という人たちは、この醍醐味がわからないのです。スリリングで、迫力があって、ドラマチックなのに、大変残念です。

2008年2月5日火曜日

「THE JAZZ COMPOSER'S ORCHESTRA」





 アメリカでは1950年代から、ジャズ・ミュージシャンの中に現代音楽の影響を受けた演奏を続けている人たちがいます。「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ」は、そうしたミュージシャンを、ピアニストのカーラ・ブレイと作曲家のマイク・マントラーが集めて編成したワークショップ形式のリハーサル・オーケストラです。

 このアルバムは当初LP2枚組で、カートンボックスに入れられて発売されました。当時は若手だったガトー・バルビエリ、ファラオ・サンダース、ラズウェル・ラッドなどのアバンギャルドな演奏を聞くことができますが、ここでの聞きものは、ラリー・コーイエルのギターと、セシル・テイラーのピアノです。
すさまじい音の破壊と創造を実感することができます。

 「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ」は、その後スタイルを変えてたびたびワークショップを行い、また、ヨーロッパにも「グローブ・ユニティ」というフリージャズ・オーケストラが結成されて活動しました。

 最近は、フリージャズはアンダーグラウンドになってしまいましたが、私は、現代音楽などのクラシック音楽の方面などからも再評価がされてもいいのではないかと思っています。
 実にユニークで、アーティスティックで、画期的な音楽活動だと思うのです。

2008年1月29日火曜日

「Blind Faith/Gothenburg 1969」



 「ブラインド・フェイス」のライブ・レコーディング。彼らのオリジナルアルバムについては今月8日に紹介しましたが、これはグループ結成直後のライブと思われます。
1969年といえば、エリック・クラプトンジンジャー・ベイカーにとっては、クリーム解散後間もない頃です。

 場所は、スウェーデンのイェテボリ(英語ではゴーセンバーグ)。

 音質はノイズがはいるほどではないが、ダイナミックレンジが狭く、決していい音とは言えません。正規のレコーディングではないかもしれませんが、しかし、音源としては大変貴重なものです。

 “Sleeping in the Ground”という12小節の典型的なブルースで始まり、クラプトンアドリブ が堪能できます。また、最後の“Do What You Like”という曲では、ウィンウッドクラプトンのソロに続いて、ジンジャー・ベイカードラムソロ を堪能することができます。

 昨年は「クリーム」の再結成コンサートがあり、先日には「レッド・ツェッペリン」の再結成コンサートが行われました。
「ブラインド・フェイス」は多分ないだろうな。(~~;)

2008年1月26日土曜日

「ディープ・フォレスト/ワールド・ミックス」


 ディープ・フォレストは、1992年にヨーロッパで話題を集め、日本ではその数年後に広く知られるようになりました。
ハウス・ミュージックにアフリカン・テイストが合体したサウンドは、かつての「オシビサ」などとは違い、ロックの強烈なパワーとは対照的なソフトで知的なサウンドを特徴としています。

 サウンドの源泉は、ピグミー族の素朴な歌声に求め、カメルーンセネガルに伝わる伝統的なコーラス、エレクトロニクス・サウンドをコラージュして生まれた独自の音楽です。

 これもまた、車の中や仕事中にBGMとして聞くには最高の音楽。
この作品は1994年リリースのファースト・アルバム
その後、5~6枚のアルバムが出ていますが、どれも大地にしっかりと根ざした力強いサウンドで、聞いて心地よい音楽です。

2008年1月22日火曜日

「Cecil Taylor & Italian Instabile Orchestra/The Owner of the River Bank」




 半世紀にわたってフリー・ジャズをリードしてきたセシル・テイラーは、アメリカでは人気が低く、レコードやCDも決して多くありません。
とりわけ、ピアニストであることから、私は彼の真価はコンボ(少人数編成バンド)でこそ発揮されると考えます。ソロ演奏も素晴らしい。
しかし、過去には「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ」をはじめ、いくつかのジャズ・オーケストラとの共演を果たし、鬼気迫る演奏を残してきました。

 セシルはヨーロッパでは高く評価され、80年代以降はエンヤFMP などヨーロッパのレーベルにたくさんのレコーディングを行っています。
この作品は、イタリアの意欲的なミュージシャンの集合体であるインスタビレ・オーケストラと、2000年9月に南イタリアのルヴォという街で開かれたジャズ・フェスに出演した時のライブ録音です。

 この時、セシルは自筆のグラフィック・スコア(A3大の紙片)を持参し、リハーサルを重ねて60分以上の大曲に仕上げました。

 ブラスの音のクラスターに対し、セシルピアノはエッジのきいた音が際立ち、さまざまな楽器のコレクティブ・インプロビゼーションは押しては返す音の波のように腹に響いてきます。
私はセシル・テイラーの大ファンで、彼のレコードとCDは15枚程度持っています。
セシルはすでに70代半ばですが、いつまでもクリエイティブな活動を続けてほしいものです。