2008年7月29日火曜日

「Ol’ Blue Eyes Is Back/Frank Sinatra」


 フランク・シナトラは生まれながらのスーパー・スターでありながら、何度も挫折を繰り返しました。スランプ、喉の疾患、気力の減少…。しかし、そのたびに新しい表現力を備えてよみがえり、アメリカのジャズ、ポップス界の歴史的存在であり続けました。
 1971年、彼は55歳で突然リタイアします。しかし、その2年後にこのアルバムを録音して復帰を果たしました。

 中でもよく知られている曲が「愛をもう一度」(Let Me Try Again)です。

  かつて、僕は去っていくといったね。
  でも、さようならは言わなかった。…
  君との生活から抜け出すなんて、大変な
  思い違いをしていたんだ。…
  僕は学んだよ、そして戻ってきたよ。
  もう一度、僕にやり直させてほしいんだ。…

 自分の復帰を、恋人との関係の修復にたとえて力強く歌い上げるさまは、さすがシナトラと感動せずにいられません。

 結局、シナトラは1998年に亡くなるまで、生涯現役を貫きとおしました。その背景には4人目の妻であったバーバラ・マルクスの献身的な支えがあったのかもしれません。

 フランク・シナトラの傑作アルバムは、ジャズ歌手だった40~50年代のものに多いのですが、このアルバムにもシナトラ節といわれる彼独特の節回しも生きていて、マイ・フェイバリットの一枚です。

2008年7月24日木曜日

「The in Crowd/The Ramsey Lewis Trio」


 かつて「ジャズ入門ははラムゼイ・ルイスから」と言われていたことがありました。私も学生時代、ある雑誌でこのアルバムが紹介されていて、そこからジャズを聴き始めました。

 ちなみに、その雑誌に紹介されていた初心者向けアルバムには、ほかに「ポピュラー・エリントン/デューク・エリントン」「ザ・キャット/ジミー・スミス」「オム/ジョン・コルトレーン」などがありました。

 ラムゼイ・ルイスからジャズ・ライフが始まりましたが、数十年たった今振り返れば、ラムゼイ・ルイスは、このアルバムとベストアルバムの2枚しか聴いていません。残念。

 でも、今でも時々聴き返しています。自己主張を表面に出さず、ポップスに近い演奏スタイルが聴きやすいのでしょう。お勧めします。

2008年7月23日水曜日

「ハロー・ハービー/オスカー・ピーターソン・トリオ」


 オスカー・ピーターソンの演奏を聞いていると、きらびやかで華麗で、空間を音で埋めつくすように聞こえてくる。寡黙で、ダークな世界観を持ったセロニアス・モンクとは対極的な位置にいるピアニストです。ピーターソンのテイストが他のジャズピアニストと少し違って聞こえるのは、彼がカナダ人だからかもしれません。

 このアルバムは、ジャズ・ギタリストのハーブ・エリスと共演したもので、ドイツで1969年に録音されました。

 どの曲も大変スウィング感に富んでいて、明るく、楽しい作品になっています。ハーブ・エリスのキターも押しつけがましくないところがいい。何度聞いても飽きず、いつもそばに置いておきたいアルバムの1枚です。

2008年7月14日月曜日

「セロニアス・モンク/アローン・イン・サンフランシスコ」


 ジャズ・ピアノの巨人セロニアス・モンク(Thelonious Monk/1917-1982)は生前に4枚のソロ・アルバムを残しました。このアルバムはそのうちの3枚目のピアノ・ソロアルバム。1959年にサンフランシスコで録音されました。

 実はその2年半前に「セロニアス・ヒムセルフ」という彼のソロ・ピアノの至高のアルバムが録音されていることから、このアルバムはその陰に隠れてしまうことが多いのです。しかしモンクの作品に愚作はありません。4枚のソロ・アルバムはいずれも個性的で素晴らしい作品だと思っています。

 モンクの特色は、その独自のコード(不協和音)と奏法にあります。コードを弾いた後、一本の指だけを残して他の指を持ち上げると独特の残響音が残ります。その響きが計算されていて、ソロで聞いても、コンボ演奏を聞いても、彼独自のサウンドが展開されます。

ちなみに、彼のソロアルバムは次の4枚。
「Solo on Vogue」(Vogue)
「Thelonious Himself」(Reverside)
「Alone in San Francisco」(Reverside)
「Solo Monk」(CBS)

 コンボやオーケストラと共演したアルバムは数知れず。

 モンク文句はいけません。
 彼の残した遺産をこれからも存分に味わいたいものです。